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『徘徊 ママリン87歳の夏』(2015)で

認知症映画のイメージを一変させた田中幸夫監督最新作。

 人は忘れる生き物である。そしてまた、人は忘れない生き物でもある。

1995年1月 阪神淡路大震災

神戸市兵庫区は甚大な被害を受けた地区の一つだ。

あれから20年、いまだ震災前の人口は戻らず、高齢化はさらに進んだ。

「一面の焼け野原、震災は戦災と同じやった」そう語る人もいる。

彼らは過去を生きているのではない。ここを生きている。

嘆くのでも恨むのでもない。ささやかなハレ。淡々と自らの命を紡ぐ日々。

かれらの経験から学ぶことは今しか出来ない。いや、もう十分に遅すぎる。

大きな出来事”を体験した“小さな人たち”は、上から大声で叫ぶのではない。

私たちと同じ目の高さから自分にも言い聞かせるように、小さな声で語りかける。

一つ一つは何処にでもある取るに足らない出来事かもしれない。

しかし、かけがえのない“小さな言葉”は“遠くまで”届く。

死者に、未来に届く。そして、静かに強く長く残る。

忘れること 忘れないこと

変わるもの 変わらないもの

阪神淡路大震災10年目を契機に始まった兵庫モダンシニアファッションショー。

12月の本番まで8ヶ月間に亘り、ショーに関わる人々の姿を追った。

歳月とは? 忘れるとは? 変わるとは? 日常とは? ハレの日とは? 装うとは?

そして人が人と生きるとは? 正しい答なんて何処にもないのかもしれない。

それでも人々は生きる。淡々と、限られた生を、死者たちに与えられた生を。